お金目当ての結婚はその後どうなる?幸せなのか離婚で後悔するのか末路を徹底解説

お金の失敗

お金目当ての結婚は、その後一体どうなるのか気になる人も多いのではないでしょうか。

いわゆる「愛よりお金を選んだ結婚」と言えますが、果たして幸せな結末を迎えるのか。それとも離婚して後悔する末路になるのか。

実際にそういった状況になりそうな人や、周りにそういう人がいる場合は参考にしてみてください。

それは「幸せへの近道」か、それとも「後悔への入り口」か

経済的な安定は、幸せな人生を送る上で無視できない重要な要素です。その安定を結婚という形で手に入れようと考えることは、ある意味で非常に現実的かつ合理的な選択のように映るかもしれません。

愛という不確かな感情よりも、お金という確実な基盤を選ぶ。それによって将来への不安から解放され、穏やかで満たされた生活が手に入るのではないか。そんな期待を抱くのは決して特別なことではないでしょう。

しかし、その選択の先には本当に望んだ「幸せ」が待っているのか。それとも物質的な豊かさと引き換えに、人生でもっとも大切な何かを失い、生涯続く「後悔」を抱えることになるのか。

「お金目当ての結婚」というきわめて重いテーマについて、単なる道徳論や感情論で結論づけるのではなく、その選択をする人々の深層心理、結婚生活で待ち受ける現実、そして最終的にたどる可能性が高い末路について、数多くの事例や専門家の知見に基づき客観的かつ徹底的に解説していきましょう。

なぜ「お金目当ての結婚」を選ぶのか?隠された3つの深層心理

「お金目当て」という選択は、単なる強欲や怠惰の一言で片付けられるほど単純なものではありません。その決断の背景には、しばしばその人の人生を深く規定してきた強力な心理的動機が隠されています。

その代表的な3つの深層心理を解説していきましょう。

過去のトラウマ:「貧しさ」から逃れたい生存を賭けた渇望

幼少期に経験した家庭の貧困や親の借金、お金が原因で家族が争う姿。こうした体験は心に深い傷(トラウマ)を残します。「お金がない」という状態が、自身の安全や尊厳が脅かされる「生存の危機」と、無意識のレベルで直結しているのです。

そのため、経済力のある相手との結婚は、贅沢をしたいという願望ではなく、「二度とあの恐怖を味わいたくない」という生存を賭けた必死の選択といえます。

愛情という不確かなものよりも、まず自身の安全を確保したい切実な叫びがその根底にはあります。

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自己肯定感の低さ:自分には「愛される価値がない」という歪んだ思い込み

自分自身の内面的な価値を心から信じることができない状態も、この選択の一因となります。自己肯定感が低いと「ありのままの自分では、誰からも愛されるはずがない」という歪んだ思い込みに囚われてしまうことがあります。

その結果、自分に残された価値は「若さ」や「容姿」といった、いずれ失われる外面的な要素だけだと感じ、それを「資産」と交換するしかないという悲観的な結論に至るのです。

これは愛情に基づいた対等な関係を築くことを初めから諦めてしまっている状態と言えるでしょう。

合理的な計算:「結婚はビジネス契約」と割り切る冷めた現実主義

すべてが過去のトラウマや自信のなさに起因するわけではありません。中には愛情や情熱といった感情は、時と共に移ろいゆく不確かなものだと捉え、結婚を一種の「ビジネス契約」や「戦略的パートナーシップ」として割り切る冷めた現実主義者もいます。

そういう人にとっての結婚とは、お互いのリソース(経済力、社会的地位、容姿など)を組み合わせ、双方の利益を最大化するためのきわめて合理的な判断です。そこには恋愛感情を排除した明確な損得勘定が存在します。

【見抜く方法】お金目当ての男女に共通する言動とサイン

人の真意を完全に見抜くことは困難ですが、お金を目当てに関係を築こうとする人々には、その言動の端々に共通した特徴が表れることがあります。

交際中や結婚後に見られる代表的なサインを解説していきましょう。これらは、相手の本質を判断するための一つの客観的な材料となり得ます。

結婚前に見られるサイン:収入や資産への過度な関心、将来の生活レベルへの執着

恋愛感情よりも、経済的な条件への関心が先行するのが、このタイプのもっとも顕著な特徴です。

  • 交際して間もない、まだ深い信頼関係が築かれていない段階で、年収や貯金額、所有資産、あるいは親の職業や資産について、踏み込んだ質問を執拗に繰り返します。
  • プレゼントやデートの質が、相手への愛情を測る基準となっています。高価な贈り物や豪華なレストランでの食事を当然のように期待し、それが満たされないと、あからさまに不機嫌になったり、愛情が冷めたかのような態度をとったりします。
  • 将来のビジョンを語る際、二人の関係性をどう育んでいくかという話よりも、「どんな家に住めるのか」「どんな生活水準が送れるのか」といった、物質的な側面に話が偏る傾向があります。

結婚後に見られるサイン:感謝の欠如や感情的な距離、相手の資産への強いコントロール欲

結婚という目的を達成した後、その本質がより明確に現れることがあります。

  • パートナーの労働や収入に対して、感謝や労いの言葉がありません。「稼いでくるのが当たり前」という態度で、相手を単なる経済的な供給源として見ている節があります。
  • 結婚を境に、それまで見せていた愛情表現や身体的な接触が著しく減少します。感情的なつながりを育むことに関心がなく、夫婦間のコミュニケーションは、お金や生活費の話に終始しがちです。
  • 家計の主導権を完全に握ろうとしたり、パートナー個人の資産状況まで細かく把握・管理しようとしたりするなど、お金に対して強いコントロール欲を見せ始めます。

お金で買った結婚生活の「その後」待っている5つの現実

仮にお金目当ての結婚という目的が達成され、経済的に恵まれた生活が始まったとしても、その日々は思い描いていた理想とはかけ離れた現実であることが少なくありません。

そこには、物質的な豊かさだけでは決して埋めることのできない、いくつかの共通した現実が待っています。

「満たされない心の空白」:物質的な豊かさと精神的な幸福は別物

高級な衣服や食事、豪華な住まい。手に入れた当初は高い満足感を得られるかもしれません。しかし、人間の心は刺激に慣れるようにできており、その喜びはすぐに薄れてしまいます。

そして後に残るのは愛情や信頼、尊敬といった、心のつながりのない関係性がもたらす、深い虚無感です。

誰かと喜びを分かち合ったり、悩みを打ち明けたり、心から安らいだりすることができない生活は、どんなに物質的に豊かであっても、精神的には満たされない空白が広がり続けます。

「黄金の鳥かご」:経済的な従属が生む自由の喪失

経済的な基盤を完全にパートナーに依存する生活は、一見すると楽に見えますが、実態は「黄金の鳥かご」に囚われた状態に近いといえます。

生活のすべてが相手の収入によって成り立っているため、自分の意見を主張したり、相手の意に沿わない行動をとったりすることが困難になります。たとえパートナーから理不尽な要求や、精神的な苦痛を伴う扱いを受けたとしても、「この生活を失いたくない」という思いからそれに甘んじるしかありません。

お金と引き換えに、自己決定権という人間にとって本質的な自由を失うことになるのです。

「仮面夫婦」という孤独:世間体を保つための感情のない共同生活

愛情という基盤がないため、夫婦間の情緒的な交流は生まれません。日々の会話は必要最低限の事務連絡のみ。共に笑い、泣き、支え合うといった、夫婦関係の醍醐味は皆無です。

周囲からは何不自由ない理想の夫婦に見えるかもしれませんが、家の中に一歩入れば、そこにあるのは冷え切った空気と、同居人に近い関係性です。

同じ空間にいながら心は決して交わらない。この「仮面夫婦」という状態は、一人でいる以上の深い孤独感をもたらします。

「絶え間ない不安」:愛情という基盤がない関係の脆さへの恐怖

この結婚の基盤が愛情ではなく、自身の容姿や若さ、あるいは相手の経済力といった、移ろいやすいものであることを本人が一番よく理解しています。

そのため、「もし、パートナーが本当に愛する人を見つけたら」「もし、自分の容姿が衰えたら」「もし、パートナーの事業が傾いたら」などの絶え間ない不安に苛まれることになります。

手に入れたはずの経済的な安定は、きわめて脆い土台の上に成り立っており、心の平穏が訪れることはありません。

「愛情の芽生え」という稀なケース:本当に幸せは訪れるのか?

きわめて稀なケースではありますが、当初はお金が目的であったとしても、共に生活を送り、様々な出来事を乗り越える中で、パートナーへの尊敬の念や同志としての絆、そして穏やかな愛情が芽生える可能性もゼロではありません。

しかし、これは数多くの偶然や、双方の並々ならぬ努力が重なった場合にのみ起こりうる、例外的な奇跡に近いと言えます。

はじめからこの可能性に期待することはあまりにも楽観的で、危険な賭けであると言わざるを得ません。

お金目当ての結婚が「離婚」という末路を迎えるとき

愛情のない関係が破綻し、最終的に「離婚」という選択に至った場合、お金と引き換えに失った時間の対価として、せめて十分な金銭的補償を得たいと考えるかもしれませんが、法的な現実はそう甘くはありません。

慰謝料・財産分与の厳しい現実!期待したほどのお金は手に入らない

まず、離婚したからといって必ずしも「慰謝料」がもらえるわけではありません。慰謝料とは、不貞行為やDV(ドメスティック・バイオレンス)など、離婚の原因を作った側(有責配偶者)が、相手に支払う精神的苦痛に対する損害賠償です。単に「お金が目当てだった」「性格が合わなかった」という理由だけでは、慰謝料の請求は法的に認められないのが原則です。

また、夫婦が結婚期間中に協力して築いた財産を分け合う「財産分与」についても、誤解が生じがちです。分与の対象となるのは、あくまで「婚姻期間中に、夫婦の協力によって得られた財産」のみです。相手が結婚前から所有していた資産や、親から相続した遺産などは、原則として分与の対象外となります。

つまり、たとえ相手がどれほどの資産家であっても、結婚生活が短ければ、期待していたような多額のお金を手にして離婚することは法的には極めて困難なのです。

社会的信用の失墜と次の縁を妨げる「金目当て」のレッテル

離婚の過程で結婚の動機が金銭目的であったことが明らかになれば、その事実は共通の知人やコミュニティの間に広まる可能性があります。一度「金目当てで結婚し、破綻した」というレッテルが貼られてしまうと、その人の社会的信用は大きく傷つきます。

そして、このネガティブな評判は将来の新たな人間関係を築く上で、深刻な障害となり得ます。次に真剣な恋愛を望んだとしても、相手からは「この人も、お金が目当てなのではないか」という疑いの目で見られ、誠実な関係を築くことが非常に難しくなる厳しい現実が待ち受けているでしょう。

【最終的な末路】たとえ離婚しなくても失うものの大きさ

お金目当ての結婚がもたらすもっとも大きな代償は、離婚という法的な結末を迎えるか否かにかかわらず、その人生そのものから、かけがえのない価値を静かに奪い去っていく点にあります。

物質的な豊かさの陰で、静かに失われていくものの大きさは計り知れません。

人生でもっとも貴重な「時間」という資産の浪負

お金は失っても再び稼ぐことができるかもしれませんが、過ぎ去った「時間」は決して取り戻すことができません。

愛情のない関係の中で過ごす数年間、あるいは数十年という時間は、本当に心を通わせられる誰かと出会い、共に笑い、支え合うという、人生の最も美しい経験をする機会を永遠に失うことを意味します。

気づいたときには、お金はあっても、共に思い出を語り合える相手も、情熱を注げる若さも失われている取り返しのつかない現実に直面するのです。

人を愛し信じる能力の喪失

人を愛し、信頼するという感情は、経験を通じて育まれる繊細な心の機能です。結婚というもっとも親密であるべき人間関係を、損得勘定や利害関係の土台の上に築いてしまうと、その機能は少しずつ摩耗し、錆びついていきます。

人を心から信じることの尊さを忘れ、相手の言動の裏を常に探るようになり、やがては誰に対しても心を閉ざしてしまうのです。

その結果、たとえその結婚生活を終えたとしても、再び誰かを純粋に愛して信じるという、人間としてのもっとも根源的な幸福を感じることが困難になってしまう可能性があります

「お金で自分を売った」生涯消えない自己嫌悪

人生の岐路において、自分自身の心に背き、「愛」ではなく「お金」を選んだという事実は、生涯にわたって重い十字架のようにその人の心にのしかかります。

華やかな生活の中でふと我に返ったとき、あるいは人生の終盤に自らの生涯を振り返ったとき、「自分はお金のために魂を売ったのではないか」という拭い去ることのできない自己嫌悪に苛まれることになります。

どれほどの富を築こうとも、失われた自己肯定感や尊厳を取り戻すことはできず、その心の痛みから解放されることはないでしょう。

人生の価値は貸借対照表には載らない!失われた時間と信頼の代償

企業の経営状態が、資産と負債を一覧にした「貸借対照表(バランスシート)」で評価されるように、人生を一つの経営として捉えることもできます。お金目当ての結婚は、一見すると資産の部に大きなプラスをもたらす、きわめて有利な経営判断のように思えるでしょう。

しかし、人生の貸借対照表には決して記載されることのない、もっとも重要な項目が存在します。それは、「愛情」「信頼」「自己肯定感」、そして二度と戻らない「時間」といった目に見えない無形の資産です。

お金目当ての結婚とは、これらの測り知れない価値を持つ無形資産を、換金可能な金融資産と交換する行為に他なりません。その取引によって貸借対照表の数字上の資産は増えるかもしれませんが、その裏側では人間としての豊かさの源泉とも言えるこれらの大切な資産が、静かに、しかし確実に取り崩されていくのです。

最終的に気づくのは、どれほど巨額の資産を築いたとしても、それを使って失われた時間を取り戻すことも、壊れた信頼を買い戻すことも、そして傷ついた自尊心を癒すこともできないという動かしがたい事実です。

人生の本当の価値は決して数字では測れない。その厳しい現実こそが、お金目当ての結婚という選択が突きつける、もっとも重い代償と言えるでしょう。

お金のない人と結婚は後悔する?お金より愛を選んだ結果